潜水漁師が船長を務める石川県橋立漁港の遊漁船

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H22 2/22に思うこと

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89年から聞き慣れない響きの90年代になった頃、私はまだ18歳で2/22で19歳になる日、潜水部の先輩と同期の3人で相模大野の駅前の居酒屋で飲んでました。

上京した89年は天安門事件、イランのホメイニ師死去、ベルリンの壁崩壊、・・・とめまぐるしく世界が変化してましたが、日本は依然バブル経済が続き、上京したての私はようやく石川弁が抜けていつの間にか標準語を喋るようになってきてました。

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記憶というのは不思議なものです。去年の誕生日のこともろくに覚えてないのに、20年前の誕生日の景色は、これといって特別なことをしたわけじゃないのに、今でもはっきりと細部まで記憶してます。20年の間のこと、友達と過ごしたこと、女と食事したこと、ダメだ、誕生日に関しては何にも覚えてない・・・

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青梅街道沿いの阿佐ヶ谷のアパートから遠く離れた相模大野駅前、その頃の相模大野駅は再開発以前で、どこにでもある普通の小田急線の駅でした。

どんな用事があったのかはわかりませんが、3年の先輩と1年の同期と私の3人で窓から電車の見える、どこにでもあるような居酒屋で、なかなか馴れないビールを飲んでいました。

ちなみにその同期は今でも付き合いがあり、東京で潜水調査の仕事をしています。私同様、どこかアウトロー的で、まっとうな社会人とは言い難い。先日、スノボーで腰の骨を折ったらしいが、「折れても大丈夫な骨だったから問題ない。さっそく今日、原発の海潜ったよ」とのこと。折れても大丈夫な骨ってあるのか?

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その頃の私の最大の関心はダイビング修行の一つである、夏休みの沖縄居候計画でした。学生は基本的に貧乏であり、スクーバダイビングをするにはやはり金がかかります。ですので約2ヶ月に及ぶ夏休みは仕事という名目でタダで潜れる沖縄離島のダイビングショップに居候する、という夢がありました。

学業に関しては入学した時点で一切放棄(入ったもの勝ち?)してましたので、青春の全てを海に賭けてました。もし、青春を山に賭けた山岳部に入っていたら夏は穂高の山小屋にいただろうし、イタリアン目指すならシチリアに行ってたろうし・・・彼女はいないし、とにかく時間はたくさんありました。

ところで大学の一年に及ぶ一般教養科目ってなんなんでしょう?なんで大学に入ってジャージに着替えて体育しないといけないの?なんでわかりきった日本史を勉強するの? 全くのムダです。あれじゃ学業放棄やむなし。

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「座間味のビーチでお客さん用のカレーを一日中作ってたら日焼けでカラダ真っ黒さ。全ての体毛は金髪になるし、手の甲は真っ黒、手の平は真っ白、まるでカレイの体色のようだったよ」

「潮が引くとさ、海面からサンゴが浮き出るんだ。こんな景色信じられるか?」

「普段はボートで沖に行ってもお客さんの世話係りでなかなか潜れないけど、そんときはさ、お前も潜れって言われたんだよ。でも潜るつもりしてなかったから潜水道具がなくてさ、でもこんなチャンスそうないからタンクにレギュレーターだけつけて、それをメッシュバッグに入れて海に飛び込んだね。その姿、お客さんから受けたね!」

私と同期、眼を丸くして先輩の武勇を聞き入ってました。まさに門前の小僧の丁稚奉公状態の学生バイト。その姿に無茶苦茶憧れました。実際、学生バイトは現地オーナーに「デッチ」と呼ばれてました。

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西表、久米、宮古、座間味にするか、伊豆の三宅か八丈か、いろいろな情報を聞いては驚くことばかり。航空会社の眩しい女性の水着姿の沖縄ポスターじゃない、本当の沖縄、懐深く単身で飛びこまないとわからい世界が知りたい。お客さんじゃなくてお客さんを迎える立場になりたい。そんなことばかり考えてました。

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そろそろ終電が近づき、勘定するとき先輩に、「今日はご馳走様でした」と言おうとしたとき、

「あっ、金持ってきてねぇーや、今日はワリカンな」

これにも驚きました。3年生が1年生と飲みにいき、ワリカンだと言われるの。後にも先にもたった1回の貴重な体験でした。その先輩のレジ前での照れ笑い、まるで昨日のことのように覚えてます。

その照れ隠しか、駅の切符売り場で、

「この切符やるよ、記念に取っとけよ。平成2年2月22日、ゾロ目でしかも戸井の誕生日だ。次に2が揃うのは20年後だな。」

その切符はアッという間に失くしましたが、その記憶だけは失くしていません。これといって特別なことでない、普通の一日でしたがその景色にチリが積もらず、当時から比べて15キロ太り、20年という時間が流れたのに、いまだに後頭部の隅っこで光を放つのは何故なんでしょう。不思議なものです。

まだ大学1年、卒業するまでの時間はまるでアラスカ大陸のように広く、ましてや20年後だなんてホントに訪れるの? と思うくらい永遠を感じました。そしてまもなくその20年後がやってきます。光陰矢のごとし。ただただ驚くやら呆れるやら・・人生は思ってたより速いスピードで流れてるようです。

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コメント

自分で作ったの?それともお子様?なかなかいいんじゃな~い。
ちなみにその先輩って、主将?

51へ

自分で料理作って、自分でネームプレート(良平様!)書いて、自分で祝うなんて考えられないだろ!

チビッコが祝ってくれました。

先輩は主将ではなく、学習係の9G先輩だ。

「○○ちゃん、ちょっとジェラシー!」

得意の決めゼリフ(?)、気味の悪いポーズ付きで話のオチによく使ってたてな~

誕生日おめでとー!
相変わらずの良平節で我が家は大爆笑よ。
もう出会ってから20年も経つなんてねぇ。
ホント人生は思ってたより速いスピードで流れてるわ〜

現地オーナー様へ

ごぶさたしております。船底掃除主任の良平です。

3年間にわたり、学生で世間知らずの私を厳しく、優しく(?)、面白く、鍛えてくださった恩は生涯忘れません。

生まれの故郷の他に育ちの故郷というものがあるのなら、私にとってそこは間違いなく西表島ですし、育ての親は現地オーナーご夫婦様だと思っております。

相変わらずの良平節? この軽口のせいで何度皆様から怒られたことか!

誕生日おめでとうございますー!!。

ちなみに、僕は2月2日が誕生日です。。


語呂的には若干奇遇ですね~。

たつ君へ

たつ君も2のゾロ目なんだ。奇遇だね~

平成22年の今年はきっといいことあるよ!

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